性格は顔に出るというのは、本当か?

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seikaku-kaonideru
優しそうに見える人、きつそうに見える人など、顔の印象から、その人の性格を判断してしまう事が度々あります。

ですが、見かけとその人の性格は、全く一致しているのでしょうか?

また、簡単に〇〇〇に見える、という「見かけ」だけで、この人の性格はこうだ、と判断が出来るものなのでしょうか?

じっくりと話しをしてみたら、また、付き合ってみたら、見た目とは違う性格だったという事もあります。

見た目と中身は、本当に同じなのか・・・見た目ではなくて、内面を見て判断した方が良いのでは・・・

そこで今回は、性格と顔は一致する!?という事について、お話ししていきます。


付き合ってみないと分からない? その人の「良さ」

性格は顔に出るというのは、本当か?

人は見かけによらぬもの

「人の性格や能力は、外見だけではわからない」という、ことわざですね。

すごく強面のおじさんが、転んで泣いている、小さな子の世話をしてあげたり、きつそうな顔の看護婦さんの方が、接し方や介護がやさしかったり、逆に可愛らしい優しい顔立ちの女の子が、仲間の子をつねって楽しんでいる。こんな場面に、出くわした事があります。

そうかと思えば、穏やかな外見通りに、その性格も穏やかな人もいます。美しい容姿に加えて、内面も非の打ち所がない、素敵な人もいます。

やっぱり、人の内面は、その顔つきと一致している場合、一致しない場合と、様々なのではないでしょうか。

 

外面如菩薩内心如夜叉

げめんにょぼさつないしんにょやしゃ。と読みます。

外見は、やさしく穏やかに見えるが、心の中は邪悪で恐ろしいという意味で、しばしば女性に使われます。

女性としては、ありがたくない表現ですが、「言えてる!」と、思い浮んでくる数人の顔があるのも否定出来ません。

「可愛らしい顔立ちの女の子が、仲間の子をつねって楽しんでいる」、例をあげましたが、ヒトの痛みが良く分かっていない、幼稚園児くらいまでは、相手の反応だけが面白いという事もあり得ます。その段階から、自分が痛い事は他人にはしない事を学んでいくハズなのですが・・・。

また、顔立ちが優しく穏やかでも、内面に意地悪さや冷たさを持っていたら、どこかに例えば、目つきや雰囲気で邪悪な内面は出るはず、と考える方も多いでしょう。

でも、まず目から入った情報で、『優しそうだ』という先入観が働いている時、緊張感もほぐれていますから、自分のレーダーは、しっかりと相手を観察が出来るのでしょうか。

これに関しては、何度か会って見る事でしか、その人の持つ色々な面を知る事は難しいように思えます。

 

あの声で蜥蜴(とかげ)食らうか時鳥(ほととぎす)

外面如菩薩内心如夜叉と同じ類の例えで、人や物は見かけによらないもので、外見と中身が異なり驚かされる事ですね。

確かに、美しい声で鳴くホトトギスを見る時、美味しそうにトカゲをついばんでいる様子は想像が付きません。もちろん、昆虫を餌とする鳥なので、人間が勝手にそう判断しているだけなのですね。

人も同様で、この勝手な判断というのは、しばしば起こります。

ある一瞬の行動や、短時間話した程度では、その人の本来の人間性などは捉えにくいものですが、顔や顔つきで性格も決めてしまいがちで、後からびっくりするような一面を知る・・・こんな事もありがちではないでしょうか。

 

鬼面仏心(きめんぶっしん)

「すごく強面のおじさんが、転んで泣いている小さな子の世話をしてあげる」。

怖い顔つきからは、想像できなかった内面の優しさです。

鬼だからと、村の子供たちとは遊べなかったのに、ある時、鬼が身を持って、村の子供を危険から守った。映画や、おとぎ話の中には、こんな状況がしばしば登場する事がありますね。

でも、もしかしたら、これはまんざら作った話しの中だけの事、ではないのかもしれません。

 

馬には乗ってみよ人には添うてみよ

これは、何事も経験してみなくては、本当の所はわからないのだから、やりもしないで批判したり、評価したり、するべきではない。という意味ですね。

立派で毛並みも良い馬が、実際に乗ってみたら気性が荒い、扱いにくい馬だったりします。

人も同様で、見かけではなく、付き合ってみる事で、その人の持つ良い面や悪い面が見えてくる、というわけです。

実際、見かけの為に、かなり損をしている人は多いのかもしれません。そのせいか、フランスなどでは履歴書に、写真の添付は必須ではないんです。外見で判断しない実例の一つですね。

 

いかがでしたか?

こうして見ると、一見した外見からは、想像もつかない内面を持っている場合、一見した通りの内面、の両方がありますね。

そして、自分の目に映る、第3者の姿があるように、他人の目に映る自分の存在もあります。他人から自分の顔だけで、勝手に自分の性格を決められてしまってはイヤですね。

たとえ、人を見かけで判断したとしても、それは一度、心にしまっておいて、まずは話をして、人柄を見極めたほうが良いのではないでしょうか。

そうする事で、自分の世界も広げていく事が出来ます。

 

まとめ

性格は顔に出るというのは、本当か?

  • 人は見かけによらぬもの
  • 外面如菩薩内心如夜叉
  • あの声で蜥蜴食らうか時鳥
  • 鬼面仏心
  • 馬には乗ってみよ人には添うてみよ