「あの人優しいね」という時は、雰囲気や、物腰、受け答え、悪い性質を持っていない・・・そんな時に使われますね。
ところが、「本当の優しさ」を考えると、簡単には特定出来なくなってしまいます。そして、「本当の優しさ」は、人それぞれで違うような気がします。
なぜなら、優しさは受け取る側によって、基準が異なってしまうからです。
ですが、受け取る側が優しいと感じなかったとしても、優しさとして存在する行為や言葉があります。
受け取る側の成長する事を思って、取る態度、掛ける言葉ならば、そこに優しさがあり、また、相手が一生気がつく事がなくても、相手を育むために行う行為の中にも、優しさはあるのではないでしょうか。
そこで、「本当の優しさ」について考えてみました。
本当の優しさって何だろう?考えた5つの事
薬は苦いが悪い所を治す
【良薬口に苦し】。これは、日本に限った事だけかもしれません。フランスの薬は、甘~くておいしいです。
薬に似てか、日本の子供たちは、両親や祖父母から相変わらず厳しいお小言をもらうようで、ほっとしています。
フランスは、薬がおいしくなったのと、離婚率が高いせいでか、親が癇癪を起し、自己主張、自己肯定が強くなりつつあります。
そして、子供に物を豊富に与え、好きなようにさせる事が愛情だと思い込み、悪さをきちんと正す事は、子供の人権を否定すると、とらえる傾向にあります。
子供に執着するゆえに、異常なまでに子供をかばい、他人が悪さを仕向けるようにした、とまで公言します。
自分が護る事も大きな役目ですが、きちんと一人立ち出来るように、良い事、悪い事、社会の中で守る規則のある事、何故、守る必要があるのか、折に触れ厳しさも交え、しっかりと教えていく事も、「優しさ」に通ずるのではないかと思います。
親切と優しさと愛、どこがどう違う?
「本当の優しさ」とは、何だろうと考えあぐねていた時に、ふと3つの愛(エロス・フィリア・アガペー)が浮かびました。
エロスは、運命の相手を見つけようとする欲望の愛、フィリアは友愛や友情、アガペーは家族間の愛、献身の愛といわれます。
日本では「愛」というと、どうも恋人たちの持つ感情や、母性愛、父性愛という意識が強いです。
また、「愛」という言葉には抵抗があるようで、「優しさ」という言葉が、その代わりに使われているように思います。
キリスト教が母体で、文化の発達した国では、愛(エロス・フィリア・アガペー)という表現を、優しさの行為にも当てはめます。
そして、「優しさ」は「親切」程度のレベルのようです。
こうして見ると、「本当の優しさ」というのは、家族間の相手を想う愛情や、献身の愛情、さらに友情・友愛に近いのではないかと思えます。
家族を思う時、そこにあるのは自分の身を削っても、相手を護り育む無償の愛情です。
友達も、単に面白さや楽しさだけを共有する仲間なら、そこには相手の成長を願う意識はあるのか疑問です。
仲間が成長し、その人たちの未来が喜ばしいものとなるように、手を貸せる、行動を起こせるならば、そこには深い友情がはぐくまれ、「本当の優しさ」が存在するのではないかと思います。
相手の喜ぶ顔が見たい、満足するのは誰?
厳しさも、相手を想えば「優しさ」に通ずる事を、お話しました。
ここで、「本当の優しさ」かもしれない、至極単純な行為について考えてみます。
相手を喜ばせたい、喜ぶ顔が見たい事がありますよね。そう思った時に、喜ばせようとします。
これは、とても優しい行為、本当の優しさといってもいいかもしれません。
ただ、相手を喜ばせる。この感情が、相手を主体にした物なのか、自分を主体にした物なのかで少し変わります。
Aさんがずっと欲しがっていた物がある、Bさんがこれを知ってプレゼントした。
欲しかった物が何であったにせよ、それが目先の一瞬の事にせよ、これはAさんが喜ぶ事を願った、Bさんの素直な行為です。
CさんはAさんを喜ばせたくて、自分の趣味と、価値で、Aさんにプレゼントをあげました。Aさんは喜ぶかもしれませんが、この行為はCさんの自己満足です。
「優しさ」とは、自分の価値を押し付ける事ではなく、相手の望む物を与え、喜ばせる事かもしれません。
ちょっと手を貸しましょう、行動に移せる勇気
小さな子や、お年寄りが目の前で転んだ。そばへ寄って、ケガはしていないか、一人で歩けるか、手助けは必要か、言葉をかけたり、必要があれば家族に電話をかけてあげるなど、する事があります。
目の不自由な人が道を渡れずにいる。声をかけて、一緒に渡る。
自転車のチェーンが外れて困っている人に、声をかけてチェーンをかけ直してあげる。
こういう小さな助けが必要かもしれない人を見た時、とっさに反応できる人がいますね。
この親切と呼ばれる行為は、純粋に優しさから発していると思います。
ですが、見返りなどを期待して、行動しているわけではありません。
こういう優しさも、「本当の優しさ」に入るように思います。
優しさを素直に受け入れられますか?
「本当の優しさ」について考えて、一つ疑問に思った事があります。
それは、優しさを発信する側からだけの、「本当の優しさ」だけを考えている点です。
発信する側があるなら、それを受け取る側もあります。
例えば誰かから、自分の性格や、行動について、手厳しい苦言、忠告をもらったとします。
大抵の場合、怒ってしまい、自分は傷つけられたと、受け取る事でしょう。
でも、冷静さを取り戻した時に、この行為をどう受け止めるかで、「本当の優しさ」を見出す事も出来、「本当の優しさ」を受けとめる事も出来ます。
さらに、自分にとっては楽しくはない忠告に耳を傾ける事で、考え方、物の見方にも柔軟性が生まれます。
この事で、相手の事を想いやった、「本当の優しさ」を、自分自身から発信する事が出来るようになります。
また、誰かが優しさからしてくれる親切も、「ありがとう」と受け入れる事で、相手と、自分の優しさを育てていく事が出来ます。
そして、この経験が、真心から出た優しさか、優しく振舞っているだけなのかを、見極める目も育てていく事になります。
いかがでしたか?
「本当の優しさ」とは、とても難しいものですね。
ですが、相手を真剣に想いやって、相手に向ける、まごころ(優しさ)は、時間が長くかかったとしても必ず相手に伝わります。
相手が優しいと感じるかどうかよりも、自分にとって、相手がどのくらい大切なのか、時々自問してみてはどうでしょうか。
また、あなたの中に生まれる、「ちょっと手を貸してあげよう」という、小さな優しさは大事に育てても、目を摘む事のないようにしてあげてください。
この記事が、少しでも、あなたのお役にたてる事を願っています。
まとめ
本当の優しさって何だろう?考えた5つの事。
- 薬は苦いが悪い所を治す
- 親切と優しさと愛、どこがどう違う?
- 相手の喜ぶ顔が見たい、満足するのは誰?
- ちょっと手を貸しましょう、行動に移せる勇気
- 優しさを素直に受け入れられますか?
コメント